伊賀の徒然草

伊賀名張のひまな行政書士の戯言です。

茉莉七仙女


 【茉莉七仙女の開花前の姿】


 「茉莉七仙女」とは、大陸福建省福安で作られていた工芸茶の一種で、ジャスミン緑茶のことです。


 販売時には、上記画像のように草を丸めた団子のような形をしています。
 これを、耐熱グラスに入れて、熱湯を注ぐと、茉莉(ジャスミン)の花が七つ繋がって、ふんわりと立ちあがります。


 グラスの中で、七つのジャスミンがふんわり咲いて、ふわふわ綺麗にゆれる姿が仙女を思わせることから、この茶は、「茉莉七仙女」と名付けられました。


 残念ながら、この「茉莉七仙女」は、2013年を以て製造中止になってしまいました。

 【湯中に浮かぶ茉莉七仙女】


 現在、同名で販売されている物は、茶葉の品質が劣り、花もジャスミンではなくキンセンカなどの別の花を入れており、更に匂いは化学合成の香料で付ける等々、凡そ本物の「茉莉七仙女」とは似ても似つかぬものになっています。


 この可憐にして艶やかな茉莉七仙女に思いを致しつつ、伊賀の秋をご紹介して8月最終のご挨拶とします。


 【伊賀山居の秋】


 黄金十里一天秋
 緑樹碧空白雲流
 遙憶茉莉七仙女
 神農來山共清遊


台湾(日本精神を受け継ぐ国)

【旧台灣總督府(現中華民國總統府)】


 台湾は、日清戦争の結果として1895年4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づき清朝から大日本帝国に割譲され、以後50年間大日本帝国の統治下に置かれた。
 日本の大東亜戦争敗戦に伴い、1945年10月25日故蒋介石(本名は中正、介石は字)の率いる中華民国・南京国民政府が支配するところとなって現在に至っている。


 現在の台湾人口2340万人の住民構成は、本省人85%、外省人13%、原住民2%となっている。


 本省人とは、17世紀頃から1945年の終戦までに、支那大陸各地から台湾に移り住んでいた漢民族およびその子孫のことを言う。


 外省人とは、終戦以降、蒋介石と共に支那大陸各地から、台湾に移り定住した漢民族であり、他の台湾人と異なり、日本統治を経験していない。


 原住民とは、、17世紀頃に漢民族(本省人)が移住して来る以前から台湾に居住していたマレー=ポリネシア系民族で、日本では高砂族(現高山族)と呼称されている。


 上記3系統の住民は、それぞれ異なる歴史観や対日感情を持つが、国民意識は総じて、最も人口の多い本省人の意見によるところが大である。
 本省人の殆どは、日本統治時代の台湾経営には理解を示し元々親日的であるが、戦後の中華民国政府の進駐後、その独裁政権により弾圧を受け、数万人が犠牲となる二・二八事件やその後の「白色テロ」と言われる戒厳令などを経験して、その反動により更に親日意識が強くなったように思われる。


 以下、先ずは、代表的な本省人の意見を引用し、その後、外省人や原住民の意識構造について若干附言することとする。


 その1:李登輝・元台湾総統の講演抜粋

【まざまざと受け継がれる「日本」】


 「いまこそ日本人は自信と誇りを取り戻さなくてはなりません」。2014年9月20日に大阪で行われた李登輝・元台湾総統の講演は、日本への愛情、そして励ましに貫かれていた。


 会場のグランキューブ大阪には1600人を超える聴衆が詰めかけた。20代とおぼしき若い人たちの姿も見られ、李元総統が世代を超えて日本人から支持されていることをうかがわせた。(中略)

 「日本のみなさんにエールを送りたいと思います。いまこそ日本人は自信と誇りを取り戻さなくてはいけません」


 今の日本、特に若い人がかわいそうなのは、むかしの日本がアジアを侵略した悪い国だったと一方的な教育を受けていることだ--そう李元総統はいった。日本の学校教育では、日本は台湾を植民地にして人民を搾取し苦しめてきたと教えられているようだが、それは真っ赤な嘘だ。多くの能力ある日本人が台湾のために働いた。そのおかげで現在の台湾がある――。


 「戦後の日本人が価値観を180度変えてしまったことを、非常に残念に思っています。日本のみなさんは一刻も早く、戦後の自虐的価値観から解放されなければなりません」


 「そのためには、日本人がもっと自信を持ち、かつて武士道という不文律を築き上げてきた民族の血を引いていることを誇るべきです。日本人としてのアイデンティティを持つことで初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるのです」


 かつての日本の精神が台湾で受け継がれていることを、まざまざと見る。講演で語られたのは、まぎれもない日本精神だった。左傾した思潮、自虐的な風潮に長らく支配されてきた戦後の果てに、くっきりと現れてきたこの日本精神は、力強く美しかった。


 講演のさなか、何度も聴衆の間から拍手が起こった。講演が終わるとスタンディング・オベーションとなり、拍手はしばらく鳴り止まなかった。筆者も、講演から自信と誇りをもらった1人である。お礼申し上げたい。(河村直哉・産経新聞大阪正論室長 2014.10.15)




その2:台湾李登輝民主協会の名誉理事長を務める実業家蔡焜燦氏のインタビューから

【「誇り高い日本精神よ、再び」旭日双光章を受章した「愛日家」蔡焜燦】(インタビュー)


●日本の統治時代、台湾の下水道施設は、内地(本土)よりも早く整備されたほどで、蔓延していた伝染病は一掃されました。それほどまでに日本は台湾の発展を考えていた。


●また、内地で行われていた教育と全く同じレベルのものが、同じ領内の台湾で行われていた。学校には最新鋭の視聴覚授業の設備があり、日本人教師たちは、我々に‘私‘ではなく‘公‘を大切にすることを教えた。中国の‘自分さえよければそれでいい‘という考え方とは全く違うものだった。だから、私は大東亜戦争で喜んで日本のために戦いたいと考えて陸軍に志願したのです。


●確かに日本が台湾で作ったインフラは、戦後の台湾の発展に大いに役立った。だが、我々が最も喜ぶのは、ダムや橋や鉄道ではなく、正直さや勤勉さ、約束を守ることなどを大切にする教育です。そうした道徳観を、台湾では『日本精神』と呼んでいるのです。


●残念ながら、日本と入れ替わるように台湾の支配者となった中国人には、そうした倫理観はなく、自分が儲かることしか考えていなかった。台湾では、嘘や不正、自分勝手な行動を、『日本精神』の反対語として、『中国式』と呼ぶ人もいる。それでは、ビジネスはうまくいくはずがない。台湾の‘元日本人‘たちの成功には、日本の教育が強く影響している。だからこそ、私は日本への感謝を今でも日本人に伝え続けているのです。


●『日本精神』は、ここ(台湾)にはまだ生きています。台湾には、日本が学ぶべき‘正しい日本の歴史‘がある。ぜひ、それを今の日本人に知ってもらいたい。かつての日本の姿を完全否定する中国や韓国ばかりが日本の隣人ではないのです。今でも『日本精神』を崇敬する隣国があることを忘れないでほしい。


●日本では、自虐史観という虚構が日本人から『誇り』を奪い去り、日本を‘自信喪失国家‘につくりかえてしまった感がある。しかし、それはアジア地域を不安定にさせているばかりか、世界の平和構築の障害になっている。誇りある日本が、アジア地域の安定と平和を担う真のリーダーたらんことを願う。

                    《週刊ポスト 2014/5/23》


 以上は、戦時中、日本軍に志願して入営し、共に戦う戦友でもあった本省人の意見である。


 これに対し、外省人の意識は、あくまでも日本を敵国として戦った国民党政府の見解と軌を一にするものであり、台湾移駐時までは、当然の如く反日であった。


 1945年10月、台湾を中華民国に編入した蒋介石は、一旦は、台湾に残る日本的な文物・建築物の全てを破壊しようと考えた。


 しかしながら、日本が残したインフラや学校、病院、総督府などの建築物全てを建て替えることは、中共の侵攻が迫る中では、時間的にも経済的にも余裕はなく、結局、利用できるものはそのまま活用することに方針を変更した。


 更に、蒋介石は、日中戦争中、戦力では日本軍に圧倒的に勝っていた国民政府軍が全ての作戦において、一度も日本軍から勝利を得られなかった経験を踏まえ、アメリカの強い反対を押し切って日本軍の元軍人を軍事顧問に迎えることとした。


 そして、富田直亮少将を団長とする旧日本軍の将校団(白団)を招き、国府(中華民国国民政府)軍を秘密裏に訓練させた。
 米国政府はこれを厳しく非難し、国府軍内にも反対の声が挙がったが、蒋介石は白団による教育訓練を断固推進した。


 1949年10月、中国人民解放軍が金門島等へ大挙侵攻を謀った際は、旧日本軍の根本博中将らが国府軍を作戦指導し、人民解放軍を完膚なきまでに撃破した(古寧頭戦役又は金門戦役という)。
 この時、台湾には米国から正式な軍事顧問団も派遣されたが、蒋介石があえて旧日本軍将校を頼りにしたのは、「物量が頼りの米軍方式ではなく、劣勢の兵力でいかに優勢な軍に勝つかという日本軍の作戦が上策だった」からだと言われている。
なお、この当時日本軍人の作戦参加は軍事機密であったため、富田少将や根本中将の存在が表に出ることはなかった。



【台湾新北市樹林区海明禅寺(海明寺)】


 時は下って、昭和47年、蒋介石は富田少将を台湾陸軍上将に任命して、往年の労をねぎらった。


 昭和54年4月、富田帝国陸軍少将兼台湾陸軍上将の逝去後、遺骨は分骨され、日本と台湾新北市の樹林にある海明禅寺に安置されて、台湾では中華民国護国の英雄として祀られている。



【中正記念堂】


 一方の根本中将は、戦時中は北支那で作戦する駐蒙軍司令官であったが、終戦時、北支在留邦人4万人の帰還と35万将兵の復員を援助してくれた蒋介石への恩義から、1949年台湾へ密航して国府軍に加わった。
 その経緯から、根本中将の参戦は、1966年根本中将が没するまで公にされることはなかった。
 しかしながら、1952年、根本中将の日本への帰国にあたっては、蒋介石は英国の王室と日本の皇室に贈ったものと同じ花瓶を一瓶、根本中将に渡して感謝の意を表した。
 この花瓶は本来二瓶一対の物で、その片方は今日も蒋介石を記念する中正記念堂に展示されて兩将軍の友情を今に伝えている。


 「昨日の敵は、今日の友」
 これら戦友として共に戦った経験により、国府軍の内部から日本の軍人に対する尊敬の念が生じ、それが後になって、反日一辺倒の外省人にも親日の意識が芽生えてくる一因になったものと考えられている。 


 2009年10月25日、台湾では古寧頭戦役60周年式典が行われ、日本人軍事顧問団の家族らが中華民国政府によって台湾に招待された。
 国防部常務次長の黄奕炳中将によって「当時の古寧頭戦役における日本人関係者の協力に感謝しており、これは『雪中炭を送る(困った時に手を差し延べる)』の行為と言える。」とした感謝の言葉が述べられた。


  雪中送炭詞

       伊賀山人

 覆空溢海百萬兵

 仇濤將來國難秋

 援蔣蟠踞皇軍將

 不教夷狄度金門



 最後に忘れてならないのは、人口の2%に過ぎない原住民の存在である。


 日本統治時代の初期においては、不幸な誤解に基づく反乱などもあったが、教育や医療、インフラの整備などを行う日本の統治方針に次第に尊敬と感謝の念を抱き始めた原住民は、日本にとって良き理解者・協力者となった。


 大東亜戦争中には高砂族を中心にした志願兵からなる高砂義勇隊が結成され、日本軍の指揮下で日本兵の不慣れな熱帯地域で勇戦敢闘し、不幸にしてその戦死率は日本兵を上回ったとも言われている。


 戦後、日本政府は台湾人を戦争被害の補償対象から除外したため、現在でも一部の台湾人だけが僅かな弔慰金を受け取ったのみで、戦時中の台湾出身の軍人・軍属に支払うべき賃金ですら未だに支払われずに現在に至っている。
 日本政府は台湾との国交がないことを理由に正当な賃金の支払いや、軍人恩給・遺族年金に相当する補償に関する協議ですら未だに行なっていない。
 これは、雇用契約に基づく国家債務であり、敗戦により戦勝国から強奪される戦時賠償とは、全く別次元の問題である。


 朝日新聞が捏造し韓国が嘘で塗り固めた、ありもしない従軍慰安婦問題に10億円以上の金を浪費する日本政府が、この問題を放置することは、日本精神に反し、「今日の友を明日の敵」にもしかねない行政上の怠慢である。
 この現状を鑑みるとき、真正的日本精神は既に我が国には存在せず、それを台湾に学ぶべき時代になりつつあると言うべきなのかもしれない。


【中共が制海・占領を企図する列島線(左赤線が第一列島線、右赤線が第二列島線。第一列島線の左下が、「中共の赤い舌」と言われる九段線)】


 支那大陸を領有する中共は現在、「中共の赤い舌」といわれる九段線(元々は、中華民国十一段線)を南シナ海に引いて、我が物顔に海域を支配し、その中の島嶼や岩礁を東亜諸国から掠め取り、ハーグ常設仲裁裁判所の判断を無視して不法占拠している。


 米国防総省の資料によれば、次に中共が企んでいるのは、第一列島線の支配・占領である。


 この第一列島線は、ボルネオ島からフィリピンにいたる九段線に連続して、台湾から沖縄を経て九州にいたるラインであり、先ずその中に位置する台湾の占領、次いで沖縄列島更には九州の一部までも含む制海・制空権の確保を企図し、あわよくばそれらの地域の占領・支配を目論むものである。


 この中共の強盗的野望を粉砕するためには、現在の日米安保体制を堅持するとともに、新たに大東亜の諸国との集団安保体制を構築することこそが、最も有効な手段となると考える。


 第一列島線を扼する友好国中華民国台湾は、日本の生命線である。


 日台の友好関係が長えに続き、台湾が全世界の国々から独立国として承認されて、日本の同盟国となる日の来ることを願いつつ、一箇月に亘って書き綴ってきた大東亜共栄圏諸国を紹介する連載の筆を置く。
 

【高砂族の民族衣装を纏う兄妹】


百年兵を養うは、ただ平和を守らんが爲なり

百年養兵者、唯爲護和平


東ティモール(アジア唯一の元ポルトガル領)

【東ティモールの首都ディリにおけるPKO活動の一コマ】


 東ティモールは、かつてポルトガル領ティモールと呼ばれるアジアでほぼ唯一のポルトガル領だった。(他に幾つかの小さい島々でポルトガル領もある)


 日本は、戦前、ここに定期航空便を飛ばしていた。


 大東亜戦争中、ポルトガルは中立を宣言したため、日本軍としてはティモールに進駐する予定はなかった。


 ところが、アジアでの利権を失いそうになったオランダが腹を立てて、日本に一方的に宣戦布告して、何を血迷ったか、民間人しかいないティモールに攻撃をしかけた。
 ここは中立国ポルトガル領だから明らかな国際法違反行為になる。
 ポルトガルの総督が抗議したが、彼らは相手が丸腰なときは滅法強く、抗議を無視して大日本航空職員ら三十一人の日本人を拘束した。
 日本はポルトガル政府の許可を得て第38師団が邦人救出のため上陸した。
 臆病なオランダ人は算を乱して逃げて行った。


 この史実を朝日新聞の主筆船橋洋一は「日本軍がティモールに侵攻した」と書く。この人の性格は日本人蔑視という点も含めオランダ人に似ている。


 この島の守備はその後、第48師団が引き継ぐ。
 彼らの見た島民の生活はひどいものだった。
 宗主国ポルトガルは、原住民の反乱を恐れて道らしい道も作らず、まして島民のための病院も学校も何も作らなかった。
 首都ディリにさえ商店はなかった。島民はニッパヤシで葺いた、家具もない粗末な家に住み、階下に豚を飼っていた。支那の便所と同じで餌は人糞だった。
 彼らの財産はその豚と土器と火打石と褌だけだった。
 島民は日本軍がきてオランダの白人を追いたてるのを見て、自分たちを日ごろ残忍に扱ってきたポルトガル人を襲い始めた。
 日本軍はポルトガルの総督らを保護し、その代わり島民を縛ってきた人頭税を廃し、成人に課してきた使役もやめさせた。


 これを後藤乾一早大教授や倉沢愛子慶大教授は「日本軍が島民を虐待し、略奪し、殺した」と書く。
 島民の褌を略奪して何の意味があるのか。こんな人たちに学生を教える資格があるのだろうか。


 戦後、日本軍が去ると島民は再びポルトガルの過酷な支配にひしがれた。
 男には再び使役が課され、女は綺麗だと白人の慰みものにされた。それで生まれたのが現大統領のラモス・ホルタや先代のシャナナ・グスマンらだ。
 ポルトガルは彼らに白人の血とともに宗主国の国籍と白人の名と教育と武器を与えた。
 しかし色つきの島民にはそのどれも与えなかった。


 当時のティモールの人口は100万人足らず、日本軍の去った後、自力で独立することは不可能だった。


 しかし、1975年、ポルトガルはこの島を捨てた。特産品があるでなし、維持経費が出なくなったためだ。
 捨てられた島を、かつて日本が独立を助けたインドネシアが面倒を見た。
 毎年二千万ドル以上の国費がここにつぎ込まれ、西ティモールと同じようにインドネシア語が教えられ、病院と学校が建てられ、道路も整備された。豚と一緒の家もまともな住宅に建て替えられていった。
 四百年間、ポルトガルが放置した島はやっと人の住む世界に生まれ変わった。
 しかし白人の国籍をもつラモス・ホルタたちは色つき人種インドネシア人の支配を嫌い、オーストラリアと組んで2002年、無理やり独立してしまった。


 朝日新聞の矢野英基記者が最近のこの島の表情をコラムに書いていた。
 警官が商店主にたかってみかじめ料を取っている。この悪習は「インドネシア併合時代に根付いた慣行だろう」。こういう「負の遺産」は早く処理しろと。
 併合したからこそ商店ができた。過去も調べず、悪いことは色付き人種のせいにして喜ぶ。
 こういう嘘を書けば後藤乾一や倉沢愛子のように大学教授になれるとでも思っているのだろうか。


 現在、数次に亘る自衛隊のPKO活動の成果もあり、現地での対日感情は極めて良好である。
 ところが、迷惑なのは、PKOに日本から付いてまわる、市民運動家を標榜する日本の左翼系のデモ隊である。
 彼らは、数人のグループで、日本語や英語で書いた嘘八百のプラカードをわざわざ日本から持ち込み、現地でアルバイトを雇って、デモを仕掛ける。


 「東ティモールで5万人を虐殺した自衛隊は帰れ!」
 「従軍慰安婦に補償しろ!」
 「PKO絶対反対!」
 「憲法改正反対!」等々


 挙句の果てには、元従軍慰安婦なる女まで連れてきて声を張り上げる。
 その女たるや、戦時中に生まれていたかどうかという年恰好である。
 暑い中、余り年寄りではデモに参加する体力が無いのだろう。


 このような輩は、「60年ぶりに助けに来てくれた日本軍に何を言うのか!」と現地の長老たちの怒りを買い、本物の現地人に詰め寄られ、挙句の果てに空港周辺で乱闘騒ぎを起こして現地警察のご厄介になる。
 現地の住民からは、日本政府は、何故、軍隊にこのような変な者を付けて来て、わざわざ嘘を言わせるのかと不思議がられる。


 しかしながら、このデモ隊の作り話を朝日新聞の主筆は裏付けも取らずに、あたかも東ティモールの国民の総意であるかのように、まことしやかに記事にして、5万人大虐殺説を吹聴し、賠償が必要であるなどとの妄言を記事にする。南京大虐殺と発想は同じである。
 更には、このようなデモ隊を相手にしているほど暇ではない自衛隊員が、任務遂行の為、毅然として通り過ぎたのを、「良心の呵責に耐えきれず、そそくさと逃げ去った」と書く。
 そして、この記事を真に受けた国民の間に更なる自虐史観を蔓延させて、中共や朝鮮を喜ばせる。


 我が国に、正論が広まらない本質的原因と構造的問題とがここにある。


 無知な教育者、無能な学者、敵国人もどきの新聞記者などの無責任な言論は百害あって一利ない。
 このように言論の自由をはき違えた国賊、売国奴、非国民の類は、まとめて国外に追放して貰いたいものである。